2007年03月31日

佐川さんのランラン

◇あの人

 日本で最も長くジャイアントパンダの飼育に携わってきた上野動物園の飼育員、佐川義明さんが定年を迎えた、というニュースを見て、一瞬、30年前が蘇りました。あの人、たしか佐川さんだったね。

 79年、上野動物園の講堂は取材記者とカメラマンでいっぱいでした。ランランの死についての記者会見でした。当時は日本中がパンダで大騒ぎ。新聞の社会面では人間の死よりもランランの死が扱いが大きいなんてころでした。飼育責任者への激しい質問が終わった後、ランランの一番そばにいた飼育員が呼ばれました。壇上に上がった若者は大勢の記者におびえたように目を見開きました。そして記者の質問が飛ぶと、一言何かを言って走り去りました。涙を浮かべていたのかも知れません。いじめられた子供が逃げ出していくようでした。それが佐川さんだったと思います。

◇1人

 一番つらかったのは彼でしょう。マスコミはそういう人の表情、一言を欲しがります。多くの人はマイクを向けられると、断る術もなく答えてしまうので、視聴者、読者には、その人が納得して取材を受けたように見えるのでしょうが、本人はそうではなく、つらいことが多いのでしょう。私もそんな質問をぶつけてきました。多少は相手の気持ちを忖度してきたつもりではありますが・・・

 彼の逃走を「そうだよな」と納得していたら、常に思いやりに欠ける上司が「話を取って来い」と私に命じました。仕方なく、パンダ舎に行きました。彼は1人で掃除をしていました。檻越しに何回か呼びかけました。10メートルほどの距離にいる彼は、聞こえない振りをして、怒ったように乱暴に掃除をし続けました。全国の人がランランの死を悲しんでいるけれど、一番つらい思いをしている人なんだ、そう思うとそれ以上声をかけられませんでした。投げつけるようにほうきを使っていた姿を思い出します。

◇透明な一瞬

 あれから30年。佐川さんの「定年」に、同年代の私は、あの時の彼の姿、その時間がとても貴重に思えます。新聞には佐川さんの「涙が止まらなかった。悲しいのを通り越して、悔しくて。緊張と興奮でビールを飲んでも酔わなかった」という言葉が紹介されていました。やはりそうだったのだな、と思うと同時に、今、言葉にできるのは、あのときの彼の気持ちの何分の一だろう。そう思うと切なく、またあの時間、彼といた一瞬がとても透き通った大事な時間に思えます。佐川さん、ありがとうございました。

ラベル:パンダ
posted by 平野秋一郎 at 11:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月27日

本 「なぜ株式投資はもうからないのか」

「なぜ株式投資はもうからないのか」
     保田隆明著 ソフトバンク新書
 

◇投資圧力

 企業はこぞってカードを発行して、リボ払いだ、ローンだと借金を勧める。消費者金融は街角で山ほどティッシュを配り、簡単に借りられますと煽る。保険会社は病気になったらお金がかかりますよと不安がらせ、銀行や証券会社は投信だ、外貨預金だ、カードローンだと商品を並べ、「資産運用しましょう」と呼びかける。挙句の果てに架空請求、キャッチセールス、マルチ商法が忍び寄ってくる。今の世の中、財布を狙う目に囲まれて暮らしているような気になりますね。

 一方、わずかな蓄えを守り、増やさないと、年金も期待できないこのご時勢は不安でしょうがない。でも貯金の利息はご存知のとおり。さて困ったというところへ、「預けてるだけだと、実質、目減りしまっせ」「時代は貯蓄から投資へです」という声が聞こえてくる。書店をのぞくと、「1日15分 資産倍増の株投資」とか「初心者でも1億円儲かる株投資」なんて本が平積みにされていて、見ているうちに「儲かりそうだな」「3割リターンがあれば」「貯金が倍くらいになれば・・・」とだんだんその気になっていく。貯金はダサくて、投資はカッコイイような気にもなる。そんな盛り上がった気分になった時に、保田さんの本はちょうどいい熱冷ましになります。

◇儲からない仕組み

 どうして儲からないか。本書では、銀行や企業の思惑、証券会社が誰を見て商売をしているか、個人投資家の情報デバイド、株価が動きやすい新興市場と上場企業の実態、「独自に得た情報」とか「市場の裏をかく戦略」というシロウトの思い込みの危うさ、などをさまざまな角度から指摘しています。

 読めば読むほど「そうだよな」です。書店で株の本を立ち読みしても、「安く買って高く売る」「割安株を見つける」とかの当たり前のことや、ローソク足だの移動平均線だのと指標のことが書いてあるだけ。つまり儲ける方法ではなく、株価や市場動向の評価、売買判断の仕方を書いている。それを勉強して自分で考えて儲けなさい、と書いている。当たり前だけど。確実にうまい儲け方があるなら、本を書いて他人に教えたりしないよね。お札が増えるマジックで、マジシャンが「ホントに増えるなら、こんなところでしゃべってないで、うちでやってるよ」と笑わせていたのを思い出します。でも、マジックでは笑えても、株だと本気になってしまうんですね。

◇平均リターンは5〜10%

 保田さんは、問題を指摘しながら、極めて大事なことを指摘しています。それは過去30年の東証の日経平均から「株式投資での平均年率リターンは5〜10%」とはじいていることです。これを読めば「1億円」とか「資産倍増」とかは夢想しない方がよい、と冷静に判断できます。保田さんは「最低でも年率30%のリターンは欲しいと思っている人が多いようだ」と指摘しながら、「私は、年率5%のリターンという数字を高いと思っている」と言いきります。そして「一般投資家はこの年率5%というリターンをも実は享受できていない」と指摘し、その理由を明らかにしています。

 本書で面白いのは、一般投資家の不利をはね返す方法として「ウェブ2.0」に期待していることです。保田さんはウェブ2.0で知識、情報の共有化を進め、機関投資家に伍していこう、株式リテラシーを向上させようと提案する。他人の損は自分の儲けと思っている投資家が、進歩的性善説に立って行動するかどうかは疑問ですが、「ウェブ2.0」がもたらすかもしれない文化の転換が起きれば、ありうることかも知れません。
posted by 平野秋一郎 at 15:45| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月25日

ケータイ小説

◇ベストセラー

「初版30万部」と聞いて驚きました。私の知っている物書きや学者が「初版3000部」程度で喜んでいるからなおさらです。携帯電話で無料ホームページをつくれるサービスを行っている「魔法のiらんど」の鎌田真樹子さんにケータイ小説のことを教えてもらい、そんな世界が広がっていることにびっくりしました。

 ケータイ小説は、「日本ケータイ小説大賞」のホームページを見ると「ケータイで執筆して、ケータイで公開し、ケータイで読ませる‥」と書いてありました。「ケータイで公開」「ケータイで読ませる」は分かるけれど、「ケータイで小説を書く」というのはすごい。私もケータイはメールをしますが、せいぜい30〜40字が限度です。それ以上になるとキーボードが欲しくなります。以前、東大大学院の山内祐平助教授に「今の学生はレポートをケータイで打ってきますよ」と聞かされて、にわかに信じられなかったことを思い出します。
 
 私は右手の親指1本で入力しますが、子供たちや若者は、ゲーム機のように、両手の親指で打つので、速いそうです。彼らが大人になったころにはキーボードは使われなくなっているのかもしれません。

 鎌田さんの話では、「魔法のiランド」で人気のケータイ小説は、アクセス数が数百万から千数百万。それだけたくさんの読者がいるということ。しかも、連載が終わってから、単行本になって、それがまた数十万部、多いものでは百万部を超える発行部数。そこらの本をはるかに上回ります。「ホントかな?」と日販のランキングを見たら、ケータイ小説が堂々上位に並んでいました。1冊1000円程度ですから、印税は数千万円から1億数千万円になるのではないでしょうか。作者は10代の女性たち。すごい!

◇不思議な味わい

 数冊買って読んでみました。またびっくりです。文章は小説というより、シナリオですね。ト書きと会話でつづられている。状況説明的な文章もあるけれど、ほとんど会話で成り立っています。登場する少年、少女たちのイメージや彼らが活動する環境もほとんど書かれていません。友人の部屋、公園や道、自室など場面は変わりますが、それらは記号のように実感がなく、ただ少年、少女の言葉だけで世界が作られています。学校は出てきません。親が登場する小説もありますが、ほとんど点景ですね。小説の関心は、男と女の感情の交錯だけのようです。中にはレイプや援助交際、妊娠などの味付けもありますが、ほとんどは友人や異性の友達との気持ちのやり取りが描かれるだけです。行動も感情の反映でしかありません。私は読み通すのが大変でしたが、ケータイで少しずつ読む形だと読めるのかもしれません。

 でも、小説には、若者の純情さ、一途な気持ちが出ていて、そうした心がいじらしくも感じられました。異性にあこがれ、心を通わせるのは若者を最大の関心事で、その気持ちは私たちの若いころと変わらないようです。しかし、その気持ち、若者の感情の動きを表現し、公開する若者が増えているのは、やはりウェブの力でしょう。これからはこのような表現や創作がますます増えるのでしょう。

 鎌田さんの話で印象的だったのは、「今まで本をちゃんと読んだことがなかったけれど、ケータイ小説の単行本で初めて1冊読み通した」と話す高校生がいたということでした。「本を読め」と親や教員は言います。読書感想文コンクールでは、相変わらず芥川やヘッセといった昔の“名作”が多く取り上げられています。でも、感情移入しながらケータイ小説を読んでいる多くの少年、少女がいます。感想文用の読書は自分の読書なのでしょうか。彼らの気持ちを知るために、親や教員もケータイ小説を読んで見たらよいと思います。
posted by 平野秋一郎 at 18:38| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月19日

春闘

◇妥結◇
 あす20日は私鉄総連のスト設定日でした。しかし、私鉄総連は早々と15日にベアゼロで妥結し、20日のスト回避を決定しました。早期妥結、スト回避。かつてスト設定日前夜から賃金交渉を行い、明け方まで100円玉をめぐる攻防を繰り広げていた「私鉄」のイメージとは遠い結末にちょっとさみしい気持ちになりました。

 春闘の終焉という言葉は大分前から言われていました。私が春闘を取材していたふた昔ほど前から、労働組合、春闘の存在意義を問い直す声はありました。しかし、そんな問いに答えが出ないまま、ここまで来てしまったのですね。

 今春闘は景気が回復して、企業も好業績。攻めに出た労働側に、弱気で知恵も覇気も感じられない経営側も少しは出す気になったようで何年振りかのベアもあったようです。でも、大きなインパクトは感じられませんでした。

 労働組合の力が衰えてから、企業に人の顔がなくなったように気がします。大企業は多くの利益を上げているのに、労働者への還元には極めて消極的で、企業という価値だけを大事にしているよう見えます。その傾向は強まるばかりです。企業に人が見えず、価値は企業そのものにしかないと思っているように見えます。「会社のために」で、辞職したり、嘘をついたり、自殺したりする人のなんと多いことか。

◇新しいメッセージは?◇

 先日、日本イーラーニングコンソシアムでベリングポイント社の三城雄児さんの話を聞きました。電機各社が賃上げ1000円を回答した集中回答日に、マスコミに「これで従業員の士気は上がるか」と問われて、「士気の向上は限定的だろう。一律賃上げというメッセージは弱い」と指摘し、「士気を上げる賃金だけでなく、人材育成のような人への投資が必要になっている」と労働者の心を動かす別のメッセージが必要だと話しました。そして「より強いメッセージを持つのは、人に対する投資ではないか。働く人の求めるものは賃金から人材育成に移っている。人材開発にテーマを変えないと春闘の存在意義はなくなるのではないか」と話していました。


 企業が人を低賃金で使い捨てにし続ければ、人の心は荒廃し産業は先細りになるのは明らかでしょう。派遣労働やアルバイトで「安くあげている」うちに日本の産業はつぶれてしまうのでしょう。未来とそこにいたる道のりを示し、ともに歩もうという気概のある社会をつくるために、労働組合も思い切った発想の切り替えが必要なのでしょう。賃上げだけでない、どんなメッセージを出せばいいのか。三城さんのいうように、働く人たちが自らを高められることも、正解のひとつだと思います。
ラベル:社会
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2007年03月12日

プログラミングって面白い?

◇教育用プログラミング言語

 10日の土曜日、国立の一橋大学で情報処理学会情報処理教育委員会の「教育用プログラミング言語ワークショップ2007」が開かれました。プログラミングを体験することにより何を学べるかを検討することを目的に「情報科学」「計測制御」「音楽活用」の3つの分科会が並行して開かれました。

 超文系、コンピューターの勉強はしたことがない私としては、プログラミング言語と聞いただけで「やめとこ」という感じですが、実行委員長の一橋大学の兼宗進先生の「コンピュータを使わないでプログラミングを学ぶ教材を紹介する」という言葉に勇気づけられ情報科学分科会という難しそうな分科会に参加しました。

◇Unplugged

 「Computer Science Unplugged」というニュージーランドのコンピューターサイエンスの研究者がわが子にコンピューターの概念を教ようと考案した教材がそれで、「Unplugged」というのはコンセントを抜いた、つまりコンピューターを使わないという意味だそうです。兼宗先生は「コンピューターの操作からプログラムまでの道のりは遠い。子どもたちにプログラムを組ませなくても、コンピューターの中で動いている論理を感得させたい。Computer Science Unpluggedは体験を通して子どもたちに小さな感動を与えながら学んでいく教材だ」と説明しました。

 教材の使い方のビデオが紹介されました。二進数の学習では、5人の子どもがそれぞれ表に「16」「8」「4」「2」「1」と書かれたカードをもって並びます。カードの裏には何も書かれていません。数字が見える場合、つまり表の場合は二進数で「1」、裏の場合は二進数で「0」として、表になった数字の合計の数を二進数で表すという教材です。例えば3は「2」「1」の合計なので、「裏 裏 裏 表 表」となって二進数の「0 0 0 1 1」が表示され、5は「裏 裏 表 裏 表」で「0 0 1 0 1」となります。「へえー」という驚きと感動がある教材でした。

 並べ替え(ソート)を学ぶ教材は、床に置いた図を使います。図はいくつかの丸を線でつないだもので、5人の子が1から5までのカードを持ってスタートラインに並び、図に描かれた線を伝って前に進みます。ルールは2人の子が同じ丸に入ったら、カードの数を比べて、大きい方が右、小さい方が左に進むというだけです。子どもたちが進んで行くと、スタートでランダムに並んでいた数字が、ゴールでは「1 2 3 4 5」ときれいに並びます。これは、2つの数字を比較して並べ替えるというコンピューターの基本的な動作を学ばせる教材で、「コンピューターって難しいことをしてるのかと思っていたけど、割合、単純じゃん」という理解と親しみを感じさせる教え方でした。

◇実践報告

 三重県松坂市立飯南中学校の井戸坂幸男教諭が「Computer Science Unplugged」を使った授業を報告しました。表が白、裏が黒のカードを、白にしたり、黒にしたりしながら方形に並べ、生徒ひっくり返させた1枚を先生が当てるというゲームから、情報の伝達の仕方と「エラー訂正」などを学ばせる授業や、それを応用して白黒のマスで絵を描き、それを数字に置き換えて伝える学習、また子守歌や文章の繰り返し部分をチェックして、「テキスト圧縮」について学ぶ授業、数人の生徒が輪になってピンポン球を手渡ししながら、ピンポン球に書かれた数字を揃えていく「ルーティング」を学ぶ授業など、いずれも生徒が一緒に動き、考える授業でした。学んでいる内容は相当高度のようですが、普段出会うことのない論理、コンピューターの中の世界を体験できるもので、数学パズルに似た面白さと、驚きがあって、生徒も楽しんでいる様子がうかがえました。井戸坂教諭は「遊びの中で学ぶ、体を使った体験、集団で学ぶという3つよさがある」と話しました。

 神奈川立松陽高校の保福やよい教諭は、生徒を2組に分けて同じカードを持っている相手を探すゲームや、互いの戦艦の位置を予測して撃沈するゲームなどでデータ検索のアルゴリズム、「探索」を学ぶ授業などを紹介しました。保福教諭は「ゲームで体を動かしながらの学習を生徒はよいと評価した。テキストや説明だけでは分かりにくいことが、体を動かすことで理解できる。『探索』についても多くの生徒が理解した」と報告しました。

◇議論

 質疑で「授業で学んだものを定着させるには、生徒が自身の頭の中で学んだものを再構成する必要があるのではないか」という質問が出ました。学んで、面白かった、楽しかったで終わらせては、生きた知識にならないという点は、発表を聞きながら「どういう方法があるのか」と考えていたことでした。保福教諭は「体験理解とプログラミングの間をつなぐものが必要で、誰でも再現できるような文章で書き出すことができればいい」と答えました。そこから日本語のプログラムの必要性、可能性などが議論されました。

◇思ったこと

 学んだことを、再構成するのに文章で表現できることが必要だと私は思っています。論理や構造、因果関係が理解できていないと文章にならないからです。ワークショップのの最初に三重大学の奥村晴彦教授がコンピューターでパワーポイント的な頭、箇条書き文化になるという懸念を話しましたが、箇条書きは事実だけを書き連ねたもので、そこに論理や構造理解がありません。パワーポイントの表現の多くは接続詞や動詞がないので、パワーポイントだけを見ても、その人の考えを理解することが難しいのはそのためです。保福教諭の「文章で書き出す」というのは、とても大事だと思いましたが、「Unplugged」で学んだことを文章にするといったとき、どの部分をどう書き表すのか、何を理解したことと理解したというのかは、難しいことだと思いました。「探索」について理解したことを文章に起こすのは、とても難しいと思います。一方で、すぐにプログラミングに結びつけるのも、いかに日本語のプログラミングであっても、理解とは異質にことのように思います。私はプログラミングをまったく分からないのでただの誤解かもしれませんが、理解したことを文章に起こすことと、プログラミングという作業の間、理解と活用の間には大きな溝があるような気がしました。

 「Unplugged」や、別の分科会のロボット制御、音楽活用は体験を通して、論理や仕掛けを学べるよい取り組みだと思いました。日本の学校教育は知識伝達が主で、論理や世界の構造や動きを理解させる教育が欠けていると感じています。それを改善していくのに、このワークショップで集会された取り組みは役立つと感じました。

 しかし、体験的な学習とその理解から、プログラミングまでの道にはたくさんの埋めるべき溝があることも感じました。私のように理解の足りない者は、ちょっとしたところでつまづきます。分かっている人には小さな階段も、大きな壁に見えます。初学者向けのテキストでも「ここまでやさしく書いたんだから分かるだろう」といった雰囲気がありますが、分からないことがあるのです。その溝を越える工夫が必要だと思います。ウェブを活用したヘルプデスク、専門家がボランティアでどんな簡単な質問にも答えるコミュニティがあればいいと思っています。ウェブの世界では、そんな情報の助け合いが進んでいます。ウェブを使って年齢、学力に関係なく教え合い、教材や教え方の問題点を明らかにして、改良していく仕組みがあればと、夢想しています。
ラベル:小中高校
posted by 平野秋一郎 at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ICTと教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月08日

デジタル教科書

◇研究会
 将来の教室環境やデジタル教科書などを検討する「教育におけるICTの活用研究会」が7日、開かれました。研究者や教科書会社の担当者約30人が参加して、熱気がある研究会でした。

 デジタル教科書は、教科書の本文や図表、挿絵などをデジタル化してパソコン画面で見たり、それをプロジェクターで拡大投影して見せたりできるICT教材です。教科書に収録されていない写真、図、グラフや発展的な教材を載せたり、教科書の一部を拡大したり、本文を朗読したり、図形やグラフを動かしたりといろいろな機能を持っています。その機能を授業の適切な場面で適切な方法で使えば、子どもたちの関心や意欲を高めたり、理解を促進したりすると期待されています。

 私は初めてデジタル教科書を見たとき、「デジタル化しただけじゃん」という感じしか持ちませんでした。電子情報ボードを初めて見たときのような驚きや「これで授業が変わる」という期待感はありませんでした。しかし、自分でいじったり、いくつかの授業実践を見たりしているうちに、だんだん面白さや可能性が見えてきました。要は使い方なのです。ICTは使ってなんぼ、の世界です。ICTが何かをしてくれるわけではなく、使った人にメリットをもたらすものです。そこらへんを勘違いしている先生がまだいるようですが。

◇デジタル教科書の紹介

 研究会では光村図書の国語、大日本図書の算数、学校図書の数学、東京書籍の英語と社会の教科書が紹介されました。

 光村図書の国語では、小学校1年生の物語「くじらぐも」を読む授業と、3年生が「ありの行列」という文章を読んで、作品の組み立てを理解する授業のビデオが紹介されました。1年生の授業では、先生は物語のリフレイン部分に注目させながら、子どもたちに天空を意識させ、挿絵を使って想像力を刺激します。そして、子どもたちに自分が空に上った気持ち、空から大地を見る視点を持たせていました。子どもたちが想像力の階段を使って高みに上る途中、「こわい」と言ったのには驚きました。怖いと思うほどに高さを感じていたのです。それくら物語の中に入っていたようです。感心しました。とても授業の上手な先生でしたが、紙の教科書と先生のテクニックだけでは、子どもたちをそこまで物語に入り込ませるのは難しいのではないか、ICT活用の力だろうと思いました。

 大日本図書の算数では、教科書の一部分を拡大して、そこに書き込みをする機能などが、学校図書の数学では図形を動かしたり、アニメーションで文章題を理解させたりする多くの機能が紹介されました。東京書籍の英語では、英文を朗読する、英文の一部の単語を隠す、単語カードの提示などの機能、社会科では資料や写真の提示機能が紹介されました。

◇議論

 デジタル教科書の利点、効果について、光村図書の担当者は「明日の授業から使えるコンテンツとして普及している」「使った先生方からは、子どもたちの集中力が高まった、特に低位層の児童の学力向上の効果があった、先生方の教材研究が進んだという意見があった」と話しました。東京書籍からは「1回の授業で生徒は20回以上音読し、30回以上リスニングした、と話した」という授業を行った先生の言葉が紹介されました。

 学校図書の数学はグラフや図形など「円の面積」「比例反比例」「図形」「一次方程式」など単元に応じてアニメーションや動かせる図形、作図ツールなどたくさんの機能が収められていましたが、委員長の山西潤一・富山大学人間発達科学部長は「提示だけに終わって、子どもの考えるプロセスの支援になっていないのではないか」という疑問を投げかけ、理解の過程を支援する機能、試行錯誤が出来る機能などを求める意見など、さまざま意見がありました。学校図書の担当者は「多くの機能を用意して、先生が取捨選択して使えるように考えた」などと答えました。

 また、教育内容の精選の結果、教科書が薄くなっている現状を指摘し、デジタルなら必要な教材や資料を盛り込めるのではないかという意見も出ました。山西委員長は「デジタル教科書のさまざま可能性を先生や父母に理解してもらうことが普及のカギ」と指摘しました。

◇思ったこと

 デジタル教科書には、「写真や図など理解促進に必要な資料をすぐに提示できる」「図形を回転させたりして子どもたちの想像力や推理力を支援する」「子どもたちの集中力、意欲を高める」――などの効果は確実にあると思います。デジタル教科書を使った授業で、子どもたちの顔を見ていて、そのことを感じます。しかし、デジタル教科書を使えばいいというものでは、もちろんありません。デジタル教科書が普及し活用されるには、多くの授業研究が必要だと思います。もっと多くの先生に試してみてもらうと同時に、PTAの会合などで父母に見てもらうことが大事でしょう。良いものだと分かれば、父母は強力な圧力団体になります。その力を生かしましょう。

 問題は、デジタル教科書の作り方、効果は教科や単元によって大きく違うことです。研究会では国語、算数・数学、英語、社会が紹介されましたが、「提示機能」が主の社会や国語、「繰り返し学習機能」が大事な英語、「思考の過程を支援する機能」の算数・数学などで、作り方は違ってくるでしょう。「思考の過程を支援する機能」をつくるのは、学習や思考についての理解が必要で、とても難しく、複雑なのだと思います。それを克服してよいデジタル教科書を作るには、たくさんの実践や実践に基づくアイデアが必要だと思います。

 そのためにはウェブを意識した取り組みが必要ではないでしょうか。ウェブ上にデジタル教科書を置いて、多くの先生に利用してもらえる仕組みがあれば、改良、改善が進むのでないかと思います。パッケージは活用に限界があります。ウェブにデジタル教科書を置いて、利用状況のログでランキングしたり、デジタル教科書コミュニティをウェブ上に作って意見を交換したり、先生方が機能を改良したり、新しい機能を付加したり、カスタマイズしたりといったことができれば、と思います。ソースの公開、著作権など多くの問題がありますが、ウェブ2.0的なアプローチを期待しています。
ラベル:小中高校
posted by 平野秋一郎 at 14:15| Comment(1) | TrackBack(1) | ICTと教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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